うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

方法と文脈ーーアレック・ソス展のごく短い感想

f:id:udonjiro:20220917041655j:image

アレック・ソスの写真展「Gathered Leaves」(神奈川県立近代美術館 葉山、2022年6月22日-10月10日)を見た。ソスは1969年アメリミネソタ州ミネアポリス生まれの写真家。日本での個展は同館が初となる。同展はソスがアメリカを題材とする5つのシリーズ〈Sleeping by the Mississippi〉〈NIAGARA〉〈Broken Manual〉〈Songbook〉〈A Pound of Pictures 〉で構成される。ここでは筆者が抱いた所感をごくかんたんに記す。

f:id:udonjiro:20220917041748j:image写真展の様子

ソスはそもそも、世界を代表する国際的な写真家グループであるマグナム・フォト(Magnum Photos)の所属で2010年代に世界的に評価を得た。写真史の全体像を概括的に示した鳥原学『教養としての写真全史』(2021)では、彼には「フォト・ジャーナリストに限定されない写真史の成果が引き継がれている」と評されている。ソスの主なテーマは、彼自身が属するアメリカのローカルな文化であり、最も豊かな国のイメージに隠れた孤独と疎外、文化の特殊性と普遍性のどちらをも浮かび上がらせるものであろう。「その静かな印象は、大型カメラとフィルムでの撮影から来るもので、オーソドックスというよりは古典的ですらある」(鳥原)。

ソスの特徴は柔軟かつ緻密に組み立てられた「方法」だろう。まず撮る写真のコンセプトを練る。そしてキーワードをメモして車のハンドルに貼り付ける。それから旅をするというわけだ。カメラ機材もスナップ用の手持ちカメラではなく、三脚に載せた8×10のフィルム用大型カメラを使う。つまりやり方がかっちりと頭の中にあるのだ。「枠」が決まっているというか、旅をしていくなかでそこに当てはまった被写体とときに偶発的に出会いながら、撮影を行なう。

f:id:udonjiro:20220917041937j:image〈Sleeping by the Mississippi〉より

ソスの写真には、長時間構想を練られたものだからか、厳密なフレーミングやライティングを意識して撮られたものが多いと思われる。そのようにして光景は切り取られるわけだが、一方でそれらの写真同士の「文脈」も考えなければならない。〈Sleeping by the Mississippi〉や〈NIAGARA〉にはミシシッピ川やナイアガラは出てこない。あくまでその街の、人物や風景を写している。しかしそれらを並べて見ると、不思議に街の静謐な雰囲気が感じ取れるのだ。これは一枚だけ見ても感じ取れないだろう。キャプションやパートごとのコンセプト(人物だけを写したパートや白黒写真のパートもある)を理解し、何枚も見て行くうちに、だんだんと鑑賞者にいくつかのイメージが湧き上がってくるような、そのような写真たちである。適切な位置に写真を配置することによって相互に文脈が生じて、そこからコンセプト全体が徐々に浮かび上がってくる。

f:id:udonjiro:20220917042052j:image〈A Pound of Pictures 〉より

写真は記録か表現か、という議論があったのを思い出した。ソスの写真は、方法としては表現の写真を撮ろうとしているけれども、表出されるのは記録的な写真なのではないか。あるいは、それがそのときのコンセプトで不意に逆転するような、そんな柔軟さ。

ソスが好んだというロケーションについてもすこしふれる。

f:id:udonjiro:20220917043522j:image

館の裏にはすぐ海があって、中からでも窓越しに海を望める。山も近くにあり、山と海に挟まれた格好だ。同館に関していえば、カメラという荷物をわざわざ持って行っても、展覧会に触発されるようにして、あるいは反発して、海や山が撮影できるというのは面白いのではないか。

f:id:udonjiro:20220917042505j:image
f:id:udonjiro:20220917042500j:image

アレック・ソス「Gathered Leaves」

神奈川県立近代美術館 葉山

2022年6月22日-10月10日

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2022-alec-soth