うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

テニスーー小さな賭けと確実さについて

高い天空には小さな球体が宙に浮き、そこは黄金の鞭で快音響く一撃を加えようという特別な目的で彼女が作り上げた、力と美にあふれる小宇宙なのだ。

ーーナボコフ『ロリータ』

スコットランド出身の元世界トップテニスプレーヤー・アンディ・マレー(シングルス46勝)はあるときインタビューで「みんな完璧なテニスを心掛けているけど、それは絶対に起こりえないことだし、それを受け入れないといけない」と語っている。もしくは逆に、同じく元世界トップのロジャー・フェデラーは22年9月の引退後、知人の息子にフォアハンドを教えるときに打った見本のストロークについて「私の打球はどれも完璧でした。私はただ「うわあ、今でもできるなんて」と思いました」と感嘆していた(『GQ』24年3月ウェブ版)。

ここにひとつ完璧さをめぐる逆説がある。ゲームで完璧に打とうとして放ったストロークはネットかアウトの可能性を含んでいてつねにミスと隣合わせで、おおむね期待にそぐわない軌道を描くが、試合から遠ざかった元チャンピオンが見本のために打った球は、引退後にもかかわらず完璧なものになってしまった。ひとつのショットがポイントになるかどうかは事後的にしか分からない。だとしたら完璧さとは、まるで賭けではないか。

このような感慨はスポーツをするひと、見るひとなら誰しも抱くと思う。じっさい、結果が分かっている試合などないからだ。確実な試合、100%入るストロークというものがありえないという前提によってテニスという競技は成り立っている。だからみな完璧なテニスを求めるが、マレーはそもそもそれが叶わないことを認めようと言う。

彼らの言葉には重みがある。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズはインタビュー『アベセデール』の「T」の項目「テニス」で「チャンピオンとはスタイルの偉大な創造者」であると言っている。ぼくたちはフォームを最初に習うとき、じつはそれはその時代の「流行っている」フォームを習うのだ。そしてそのフォームとは、チャンピオンたちが発明してきたものである。「どんな単純なフォームであれ、それはチャンピオンが発明したものだ」。

スタイルは変化する。ラケットもストリングも変化し、進化する。けれど、コートはほぼ変わらないし、ボールも公式球はずっと同じだ。だから確実なことは、打った球が重力と風の影響を受けるということ。打球点によって入る角度は物理的に決まっていること。物理法則と時間軸は曲げられないので、それだけはあらゆる人が同じ条件にさらされている。テニスに確実さがひとつあるとすれば、この物理法則だろう。つまりボールが入るかどうかは事前にはわからないが、入らない軌道は存在するということ。

流行のフォームはそれに加えて相手のミスを誘うようにスピンをかけるように変化してきた。ドゥルーズはそれを「労働者階級のフォーム」と呼んでもいるのだが、これは道具の進化とも相即している。ラケットはより軽く、より飛ぶように、ストリングはよりスピンがかかるように変化してきた。プレーヤーの負担が軽く、かつ相手が打ちづらい(高い打点でとらなければならない)ボールを放てるように改良されてきたのだ。

スポーツのフォームについて、美学者の中井正一は「よきスポーツマンの実存は、摑得したフォームの気分を常に反覆的に繰返して味わうことによってそれを熟せしめながら、しかもそれを脱落してより先に躍進せんとするところの、いよいよ不断の瞬間の持続である」(「スポーツ気分の構造」『中井正一評論集』岩波文庫、初出1933年)と述べている。すこしややこしい言い方だが、これは練習で自分のフォームを見出そうとする選手の心情のスケッチではないか。先に述べたフォームが「チャンピオンによる発明」だとしたらぼくら一般プレーヤーの多くは「追随者」(ドゥルーズ)であるほかないのだが、しかしスポーツとは創造的なものでもある。身体のつくりが一人ひとり違うように、ときに選手は独特のフォームを編み出してしまうものだ。

ところでテニス雑誌というものがある。選手のフォームが連続写真で掲載してあるのだが、YouTubeが発達したいま、スローモーションよりも「遅い」、というか止まってる写真だからこそ身体の動きを参考にしやすいのではないか。現実の選手の動きは肉眼で捉えるには速すぎるし、大きくプリントされてあると指先の向きまで分かるので意外な発見もある。

それからツアー選手の試合観戦をするときに驚くのは打球音だろう。視覚的にはなんてことないフォームでも、当たりの厚さを音で感じることができる。音は自分のプレーと上級者のプレーの隔たりを感じることのできるひとつの要素だろう。

週末にテニスをする。趣味としてしか響かないこの営みに生産的な側面を見出すこと。コートの上での振る舞いが創造の歴史に連なっていることに思いをはせれば、なんだか楽しくなってくる。

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ゆっくりした時間

ひとつの時間の中にあって幾億も重なる昼と夜

ーー小沢健二「ブルーの構図のブルース」

朝、行きのくだりの坂道から思う些事を帰りの電車で思い出して書き留めるまで、半日以上の時間が流れているはずなのだが、あたかもその半日以上の時間は身体から切り離されてしまったかのように意識から抜け落ちている。ゆっくりした時間がなければ考えごとは進まない。ごはんを食べてお風呂に入って歯を磨いて、あとはもう寝るだけというタイミングがよく考えがはかどるのだけれど、あるとき「集中している状態というのは忙しなくしているときではなくて、ぼーっとしているときなんだ」と説くひとがいて、こうして夜更けにまとまった「文」のかたちで想念をしたためるとき、そのことを強く実感する。気持ちが落ち着いていたり、ほかのことに邪魔されなかったりすることがどれほど貴重なことか、むかしはあまり考えなかった。仕事や家事、世の速い動きに合わせて流れるように思考していくこともあるが、好き勝手読んで、見て、思索を凝らしてそれを書き残すには、急がないで時間をかけることが必要だ、と思う。

べつにライフハック的な指南をするつもりはないのだが、その際、案外手書きのメモが役に立つ。あまりメモを手書きで残すことはしなかったのだが、アナログな回路を使うことで日常に「傷」をつけられるというか、用紙の場所を取る分目につきやすい。ペンで書いた文字もディスプレイに表示されるそれよりゴツゴツしていて、というかスマホやパソコンの画面に並んでいるそれはつるつるとしすぎていて頭に入りづらく、比較すると時間と手間はかかるが手書きの汚い字で書いた内容のほうが忘れにくい。反動的に思えるが、いまはこれがしっくりくる。

考えを整理する方法はほかにもある。最近読んだ本で村井俊哉『はじめての精神医学』(注1)がある。「精神医学」という専門分野の全体像を、比較的若い読者に向けて伝えるという本なのだが、内容はさておき、著者が精神医学について考えるときの考え方が役に立つ。いってみれば「消去法」だ。「「こころの病気」に似てはいるが「こころの病気」ではないものを列挙して、そこから「こころの病気」とは何か、を理解しようという方法」(p.158)である。現代思想では「否定神学的」と呼ばれるような方法だ。ここから日常の「ちょっと残念な行動」(遅刻、夜更かし、変なこだわり等)と「病気」のあいだに線を引いていく。あるいは、病気とは「患者の数だけ病気の種類がある」ものではないかという考え方(相対主義)に、「分類は分けすぎると役に立たなくなるのです」(p.25)ときっぱり距離をとる。こうして自分の専門分野をある種割り切ることで治療の成功率を上げることができるようになる。長年その分野にいると見えてくるような限界も、この本で書かれてあるように社会とつながっていて(DSMの版によって削除されたり追加されたりする病気)、そのことに意識的でいられると初学者もしくは専門外のひとにも話が通じやすい。「消去法」という考え方も応用が効く(人付き合い、買い物、料理、自分の専門分野)。

10年以上前の記憶。小田急相模大野駅改札を出て右。ペデストリアンデッキを突っ切ってエスカレーターを降り、コリドー通りの大きな一本道を通ると今はもうない伊勢丹の一階を抜けることになる。さらに奥へ行くと「グリーンホール」があり、中央公園があり、学舎があった。知識を身につけるにはゆっくりした時間が必要だった。ぼくは英語が好きだったのだが、単語も文法も試行錯誤して書いて解いて覚えることになる。そのときやはり細切れの時間ではダメで、休憩も含めてたっぷり時間をとらなければならなかった。もしくは、テニス。スポーツの技術の習得も一朝一夕にはいかない。とくに高校生くらいになるとそれまでやってきた別のスポーツ特有のクセみたいなものも染みていて、新たにやるスポーツの「型」を習得するまでに時間がかかる。高度な動き、技術を身につけて試合に勝とうとするならなおさらだ……といったように、この街には、いま思えば至らないながらも、心身を鍛えた記憶が詰まっている。

ぼくがぼくの学業をやり終えたとき、好奇心にもとづいて続いてきた時間からは変わって、生計を立てるためにごくふつうに仕事を始めた。市場においてなんら高度なスキルを持ち合わせてはいない者なのだが、事務的な業務に携わるにあたって、阿部公彦『事務に踊る人々』(注2)は、これまですこし触れてきた語学やスポーツの「型」と関連して、いまの仕事にユニークな視点を与えてくれた。本書は事務がいかに成り立ってきたか、いかに規範的に振る舞うか、そしてその規範の背後には人間らしい要素があるのか、ということを文学の言葉と絡めて示している。この本で強調されるのはまず「形式」だ。届け出や申告、依頼からレポートや論文まで、必ずフォーマットが決まっている。用件記入の方法や議論展開にもルールがある。それはなぜか。生きた現実が「動くもの」であり、「シンボルのながれ」(梅棹忠夫)に変換して、静止させて統御したいからだ。統御しなければ整理できず、整理できなければ知覚できない。それから次に強調されるのは「注意」である。形の細部に差し向けられる目線のことであるが、あくまで批評とはことなって、事務においてはいかに規範に従うかに大きなエネルギーが割かれる。同書ではそこから現代の注意の規範と「発達障害」へと話題が移っていくのだが、深追いはしない。興味深いひとつの「事務エピソード」を挙げるにとどめておこう。ベン・カフカ『鬼のような書類』で紹介されているフランス革命時の話だ(引用は『事務に踊る人々』から)。

1749年のことだった。フランス革命はすでに恐怖政治の段階に至っている。コメディ・フランセーズの俳優の何人かもギロチンに送られることになった。公開処刑である。処刑を見物しようと群衆も集まった。

ところがいつまでたっても処刑されるはずの俳優たちが現れない。どうやら裁判が延期されたらしい。原因は事務文書のトラブルだという。後に語り伝えられたところによると、公安委員会のシャルル=イポリット・ラブシェールという事務職員が訴追状を盗み、水に浸して原形をとどめなくしてから川に投げ込んだという。大量の処刑リストに心を痛め、事務書類の破棄という形で抵抗を示したらしい。おかげで処刑のための手続きは停滞し、処刑そのものも行われなかった。(p.13-14)

戦争の時代、暴力の時代にソフトの力を信じる。本書の最後はバートルビー論になっている。そこでは「潜勢力」という言葉が出てくるのだが、ある意味これに近いことを日々考えている。つまり、ものごととして現れる前の状態、そのかたちをなす前の力。仕事の前後のゆっくりした時間とは、無意識に刻まれた「傷」を点検する時間なのかもしれない。

(注1)ちくまプリマー新書、2021年。著者の村井俊哉(むらい・としや)は1966年生まれ。京大大学院医学研究科修了。医学博士。現在、同大大学院医学研究科教授。『精神医学の概念デバイス』(創元社)など。

(注2)講談社、2023年。著者の阿部公彦(あべ・まさひこ)は1966年生まれ。東大文学部教授。英米文学研究。『文学を〈凝視する〉』でサントリー学芸賞受賞。

「光・顔・時間」紹介

仏哲学者・小林康夫の短いながらも鋭い写真論「光・顔・時間ーー写真は截断する」(『身体と空間』)を紹介する(注1)。

この7ページほどのテクストはある作家や作品を具体的に取り上げた批評というより、写真の存在論とでもいうべきものである。「あるいは写真とは、本質的に不幸なものなのではないか」。はじめにそう問いを投げかけてから小林は論を進めていくのだが、しかしすべての「楽しい写真」を否定しようとしているのではなかった。その楽しさは、「それ[写真ーー引用者]が指示している過去の出来事」によって喚起されているだけで、そもそも写真自体については誰も語っていないのではないか。つまり、「写真は孤独なのである」。

ではなぜそういえるのか。かりに、写された出来事についての記憶を語れる人がいなくなった場合を想定してみればよい。とたんにその写真は「外」に放り出されてしまったかのようによそよそしいものとなる。記憶の外に追放された写真。その時点で、写真があるということは「なんと戦慄的なことだろう」と小林は驚く。これほど時間から引きこもっているものが、この世界に溢れているからだ。

同時に、かつて写真にはじめて接した人々がそれを不吉なものだとみなしたことを、ある種本質的なことなのではないかと付け加える。「魂を抜き取られてしまう」という素朴な表現で、人々は、人間が時間との新しい関係を生きねばならなくなったと伝える。「生きるということは、時間に沿った運動である」。ところが写真は、その流れからつねに取り残されてしまう。それはむしろ時間を「截断」してしまうのである。

小林は写真のこの「秘密」を、シャッターが構造上もまさに「截断する刃」であるという比喩とともに銘記する。「わたしたちは時間を截断するようにして事物を見ることはできない」。だから写真は、絵画とも映画とも袂を分かつ。「非=人間的」ともいえる写真の眼差しを、人間の眼差しに置き直して、それを対象の再=現前としてみるべきではないのだろう。時間の流れから断ち切られたその切断面はみずみずしい光に満ちている。写真を見るということは、「この溢れる光を見ることだ」。

それからベンヤミンを持ち出して、逆にこれが写真のアウラなのだと断じる。ベンヤミンは複製技術におけるアウラ消滅を論じた(「複製技術時代の芸術作品」)。たとえばある夏の日の午後、「山なみ」や「木の枝」に沿って目線が移動し、その運動のなかで幸福のアウラが呼吸されるいっぽう、小林は、写真には不幸のアウラとでもいうべきものがある、と。それは「ガラスの破片のように鋭い光」である。眼差しはもはや、対象との距離をはかって、それに沿ってゆっくりと時間を呼吸することを許されてはいない。写真に写る光はむき出しのまま、以後、けっして取り戻されることがない。写真のアウラは残酷なのだ。

小林のこの一見抽象的な写真論において、具体例として一枚だけ写真が挙げられている。それがニコラス・ニクソンが撮った「ブラウン姉妹 1975年」で、若い四姉妹が横並びに写されているのだが、これが「光」と「時間」に続く三つ目の主題「顔」にかかわってくる。取るに足らない写真なのだけれど、さらにわたしたちは、この四姉妹のことを何も知らない。しかし「そこで女たちの顔は、むき出しになっている」。たしかに、ライティングによって顔がはっきり見えるように写されてある。

それだけではない。〈顔〉とは、生の断面であり、写真には、その「残酷な実質」が、光の粒子として定着されているのだ。さらにもう一歩踏み込んで小林は、「それこそが、すぐれた写真がすべて限りなく〈顔〉に近づいていく理由であるだろう」と述べる。というのも、そこで「人間の顔」と「写真」の特徴が、ぴったりと重なるように二重写しになっているからだ。どちらにおいても、「むき出しの断面」が、わたしたちの眼差しをずたずたに切り裂こうとしてやまない。

ここまで記してきたことは、大げさだろうか。実際小林は写真内部におけるジャンルというものをあまり考慮していないようだし、収録されてある本が出たのも95年で、デジタルカメラが普及しているとはいえない時期だった。写真史のさまざまな潮流をいったん傍に置くような態度には、良い意味でも悪い意味でも純粋さを感じる。

けれど、原理に立ち戻って、写真というメディアのそもそもの性質に着目する視点は持っておくべきだろう。小林はその論点から切り込み、この世界に写真があるという忘れがちな、それでいて「戦慄的な」事実を思い起こさせてくれる。三題噺として書かれたこのテクストの三つの主題に、「截断」という串が入ることによってぎゅっとまとまったものになる。

ここまで性急に走り読みしていったけれど、応用が効くテクストだと思う。唐突に始めた紹介だったが、議論の骨子の説明と補足だけして、終わりもここで唐突にしておこう。

 

*注

(注1)小林康夫:1950年、東京都生まれ。74年に東大教養学部フランス科卒。76年同大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程修了。78年パリ第10大学留学、81年博士号取得。東大教養学部で用いられた船曳建夫との編著『知の技法』が有名。『身体と空間』は1995年、筑摩書房刊。

待ち合わせ5分前に、だいたい

「行きましょ」なんつって腕を組んで

ーー小沢健二「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」

ただし恋に限った話ではない。たがいに腕を組まない関係だってある。でも、待ち合わせのドキドキ感はひとの行動パターンを変える。ふだん自分ひとりの行動に慣れきってしまっているからかもしれないけれど、ひとと、あらたまってお出かけするとなると、ちゃんとしなきゃと思うタイプである。だからその結果、表題のとおり5分前にだいたい待ち合わせ場所にいるのだが、まずちょっとそのまえに一服させていただくことが多い。郊外のターミナル駅なら近くに喫煙所があるし、駅ビルが入っていれば飲食フロアに喫煙ルームがある。紙煙草だからそのへんはごまかせなく、健康なひとたちに配慮して律儀に煙を収束させる必要があるのだ。前日に「喫煙所マップ」というアプリでその日の集合場所の喫煙所情報を調べるときもあるし、べつに吸うつもりがなくてもたまたま近くに喫煙所があると「ではちょっと……」と抜け出すようにひとりでくつろぐときもある。そのとき煙をくゆらせぼんやり思うのだ。人生最高の日になるかもしんない。

……というのは若干言いすぎだけど、ぼくがそのひとに何を言えるか、どんな服を着てくるのか、一緒に何を食べられるか、期待は募る。デートでなくてもかまわない。10年ぶりに会う友人だったら昔と今の変化に注目したい、という話だ。友愛の感情は到着の時間を計算するときに高まる。気軽に気持ちを打ち明けられるひとと仕事の帰りに飲むとか、地元で軽く集まるということがあまりなく、日々孤独に帰宅しているから勝手にひとりで盛り上がってるだけかもしれないが、三十路手前(なんて大人な響きだろう、「かっこつけてピアノなんて聴いてみたり」しようかしら)の岐路に立たされているいまこの瞬間、親密にやりとりできる時間というのは満足なものだ。

いっとき、車に乗ることが多かった。車は正直時間が読めない。駅の改札前で待ち合わせるときと比べて合流に手間取る。陽光が柔らかく差す午前中の国道246号を上ろうとすると、ところどころ100m程度の渋滞にはまる。多摩川を越えるとどの車もいよいよかという気分を発し始めて、どこかで曲がろうとするからしきりにブレーキランプがチカチカしだす。交差点ではかたまりになっている歩行者をゆっくりと見送ってからでないと左折できないから後続の車両はさらにのろのろとするのだが、23区内の駅周辺の道路はどこも通行しにくく、土地勘がないのも相まって心配になりながらひとを探すはめになる。一時的に車を停められる場所をようやく見つけると、車の名前と特徴を告げ、探してもらう。目的地が決まっていたらあとは楽チンだ。音楽が好きなひとだったら流しながらあれこれ意見を述べることができる。プレイリストにしておけば途中でスマホを不必要に触ることもない。おまかせの気分のときはTOKYO FMでよいはずだ。

思い出すこともある。芝生のある公園に着いたとき、小ぶりなトートバッグからサッとレジャーシートを広げてみせてくれたひとがいた。ぼくはあのときの手ぎわの良さに感謝と感動をおぼえたのだった。あるいは、べつのひとが駅のレンタルモバイルバッテリーを歩きざまに逆さまに返却したとき。忙しそうな様子とその勢いから都会人だと思った。「なかなか手が出せない値段の指輪が気になってる」と言っていたひともいた。つぎに会ったとき実物をはめておられ、「通勤電車の吊り革につかまってるからすこし傷もついてるんだけど」と見せてもらったがその指輪自体の高貴さもあってすごく印象に残っている。

なんだか、こんな断片に生かされている気がする。待ち合わせの段階ではこんなに最高にかっこいい瞬間に出くわすと思っていなかったからだ。

ぼくは別れ際、とくに乗り物を見送るときが苦手で、だらだらくっちゃべりながらその日言い残したことはないかなとか考えてだいたい思いつかないのだけど、いつかさっぱりと「じゃ!」なんて言って相手がタクシーで去るときでさえここが愛の最高の瞬間だと感じるときが来るのだろうか。それとも歳をとるにつれていっそうさびしくなっていくのか?

と、つい待ち合わせの話から飛躍してしまった。夏は暑かったからまともなお出かけができなかった。カフェでじっくり話し込むのもいいが、秋にそのへんを歩きながら軽い話をするのもいい。意図的に地名と日付を伏せたが、知らない土地に時間を決めてカメラを持って繰り出すのもひとつの手だろう。下調べをして出かけるのは面白い。まじめに働いて蓄えて、一回くらいはめかしこんで派手な場所に行くのもいいかもしれない。最近「大人になってからじゃないとできないことって意外と少ないかもしれない」と思ったが、だとしたらそれはたぶん資金の問題で、いまから大富豪になるのは難しいにしても月に一回遊びに行けるくらいの稼ぎの仕事はしようかな。f:id:udonjiro:20231105003850j:image

警護と威嚇

地獄の番犬 相当ご機嫌ねワンワン/鳴き出したら止まらない

ーー相対性理論ケルベロス

トロールの警官が多い街に通うようになった。車を運転していても夕方など10分に一回はパトカーを見かける。これを読まれる方が警察権力にどんな考えを持っているのかは見当もつかないけれど、こうも警官にすれちがうと疲れる。職質などはめったにされない。でも、ただ歩いているだけなのに牽制されている気になる。拳を見せつけられている気にさえなる。多くの警官が配備されることによって街の治安がどれほどよくなっているかは知らない。逆に犯罪が多いから大量に警官がいるのかもしれないが、どっちにしたって緊張する。

カメラロールを振り返ると昨年(2022年)の9月27日は安倍晋三国葬があった日だった。ここで国葬についての政治的な検証はしないが、ごく私的にその葬儀の現場に遭遇していたことは記しておく。というのも、都内の別の場所に用事があり、たまたま九段下を通ることになっていて、せっかくだから降りてみたのだ。

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とうぜん日本武道館周辺は人でごった返していた。その中にはやはり、拳銃をぶら下げたたくましい警官たちも闊歩していた。銃弾で死んだ人の葬儀の警備のために銃をちらつかせるなんて不謹慎な話だ。ともあれ、国葬反対派によるデモもあったし、その日の九段下は雑多であった。

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街には公の警官のほかに市民による見守り隊的なパトロール集団も周遊している。交通安全対策がおもな名目のようだけど、人はこうも見張りたい側につきたいのかと思う。取締欲というか。そしてどうしてそちら側に簡単にまわれると思うのだろうか。

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交通網はしばしば警察権力によって規制される。お祭のときに道が封じられる。郵便局に行くと祭のために郵便が遅れる可能性があるとの知らせを見かけた。ぼくはなぜ人がそこまでして祭をやりたいのかわからないし、そのために道を封じていいのかもわからない。

アクション映画の主役はたいてい刑事か犯罪者だ。両者が単純に裏表の存在だと言いたいわけではない。しかし銃弾を放つ人というのは、どちらかに収斂するのだろう。逃げる/追うのサスペンスが2時間に収まるのはフィクションの良いところで、現実の立て篭もり事件などはもっと時間がかかる。その際、威嚇のために発砲される。ぼくたちは現実の世界で、速報でそのことを知るけれど、遠くのこととはいえ、ちょっと怖いと思うのは威嚇が成功しているのだと言えるだろう。

ところでジョセフ・H・ルイスの監督作に『拳銃魔』(1949年)というのがある。原題はGUN CRAZY。拳銃の携行が許されているアメリカの、銃が好きな男と女の話。この傑作を詳しく紹介したいわけではなく、注目したいのは、もともと主役の男は幼い頃から射的などの目的で銃そのものに魅せられてきたということだ。けっきょく行きがかり上、男は同じく射的が得意な女と出会って犯罪に巻き込まれていくのだが、もともと銃は彼にとってある意味でおもちゃのような存在だった。つまり、上のアクション映画の設定にもささやかな例外があるということだ。ただ、彼も純粋に「銃が好き」というのでは生きられなかったのだが。

よくわからないのは交番での道案内だ。あの仕事も管轄だというのは交番がトラブルのコンビニだということなのだろう。ふつう道に迷った人が行き先についてそのへんの通行人に聞くのははばかられるから、一応公務員である彼らがその任務を担ってくれている、と捉えるべきか。そういえば落し物も交番に届けることになっている。暴力から離れたところにある行為も仕事なのか。ひろく言えば秩序維持ということなのだろうが、たしかに交番の警官に変わり者はいないような気がする。それ自体秩序立った組織だからだ。

JRの駅前には、交番の前に指定喫煙所がある。一服する人は、悪さをしていないか?  と、監視されながら喫煙する。よく一時停止の標識のある交差点のすこし先で、警官が罠を仕掛けるみたいに見張っているのと同じだ。

学生の頃、高速道路を運転していた友だちがスピード違反で切符を切られた。同乗していた別の友だちいわく、「絶対相手選んでるよ」。その通りだと思う。つねに見られている。そしてそれが不当に正当化されている。

まれに、家族構成を調査するために警官が個人宅を訪問することがあるらしい。「息子さんは何をやられてるんですか?」。一年後にまた来て似たようなことを「お変わりないですか?」的に聞くのだという。「隣人への不信」はしばしば煽られる。すべては防犯のため。

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セキュリティの完成度は不安によって高まる。またもや煽られるようにして清廉潔白を装わなければならない。繰り返すが、警官の前を通るときは緊張する。

撮るときについて

カメラのファインダーの中に入り込んで四角く切り取ってしまった時間の最先端を、僕は何の気なしに当たり前だとしてしまうのだが、実はそれはとても興味深いことなのだ。

ーー山口一郎「カメラ枠」『ことばーー僕自身の訓練のためのノート』

写真を撮るときほど自分の無意識を信じられるかどうかにかかっている瞬間もない。ひとがカメラを構えてわざわざ写真を撮るとき、きっと目の前にはふだん目にしない風景がひろがっている。「残したい」と思う瞬間というのは、つねにそのひとにとっての非日常であるはずだ。形と色の第一目撃者であること。この特殊な経験はしかし、見えるものの序列づけ=〈遠近法〉に従っているだろう。目は「これは大事、これは大事じゃない」とものをふるいにかける。選別はいま・ここで瞬時におこなわれるように思えるけれど、その裏にはたぶん無意識が絡んでいる。小さいころからの記憶、教育、人種、性別、文化、夢、トラウマ……しかしこれらは筆者の手に余るからここで深入りはできない。ひとつだけ言いたいのは、自分の無意識を信じられなければ、いま見えるものの中でなにが大事だと思っているかもわからなくなってしまうということだ。

さて、目が選んだものは四角く静止したイメージで切り取られる。「カメラはわれわれの見るという欲望の具現であり、その歴史的累積が生んだひとつの技術であり、それ自体ひとつの制度であると言えるだろう」(中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」)。世界を客体と化す機械は歴史的に要請された技術の結晶で、実際のひとの視界と平面上に写された像はことなる。では撮ったものを見返して、「どうしてこんなものを撮ったのか」ということにもなる。要するに「ひとりの人間のなかに、見たものを「撮る人」と、撮れた結果を「見る人」という二つの人格が存在するのである」(大竹昭子『スナップショットは日記か?』)。「見たまま」に近い写真というのはある。しかし、そもそも機序がことなっているのだから肉眼とカメラはそれぞれちがう「制度」の中にあると言える。スナップショットでさえ、目が惹かれた景色と画面がちがうことがあるというのは、とくべつ不思議なことでもなかろう。シャッターを切るという一瞬ですむその行為は、じつは感じたものすべてをフィルムもしくは電子データに定着しえるものではないのだ。むしろ、取りこぼしてしまう要素のほうが多いと言ってもいいかもしれない。一枚の写真に含まれる情報は断片的なものにすぎない。

中平は前掲書で写真を撮ることについて「事物(もの)の視線を組織化すること」と述べている。〈私〉はものを見ているが、ものも〈私〉を見ている。世界はこれらの複雑な交差で成り立っていて、撮ることは複数の線の中の一本を選んでつまみ出す作業なのだ。ただし、残った何本かの線も元のままではいられない。部屋の配置を確認するために撮ったいくつかの写真を見ているうちいまいるこの部屋がなんだか見慣れない部屋に思えてくるように、こちらが凝視した結果、ものはあるがままの姿を見せはじめる。けっきょくわれわれの視線はその外辺をなぞることしかできないのだが、いちどものが明確なかたちを見せてくれれば、そのとき撮影者は視線の工作者になっていたということになるだろう。ここで個人的なことを記しておくと、筆者は過去の記憶が、実際にふたたびその場所に行ったときか、そこの映像を見たときに強く思い出される(音や匂いではすくない)。だからシャッターを切る瞬間は良い写真が撮れるかという普通の欲望と、「思い出せる」画面になるかという不安の二重の緊張を強いられる。カメラロールにある写真は変わらないけれど、記憶は年とともに改変されるし思い出せることもすくなくなっていくだろう。このことと、ものの視線を工作することとは、矛盾しない。健忘によって逆に写真から記憶が再構成されることもあるからだ。つまり、いま見ているものと見返されるものの関係は、時間が経過するにつれてあいまいになっていき、写真という「証拠」が、そこから遡及するように記憶を書き換える。「美しく見るには一度しか見るな」。なぜなら印象は、目を閉じてからはじめてまぶたの裏に浮かぶものだからだ。美的な写真というものはある。しかし撮ってしまったら「正しく」見えてしまい、見てしまったら記憶は書き換えられる。

いっぽうで写真にはレタッチとトリミングという〈手の痕跡〉も残されている。かつてはどの写真も暗室作業という手仕事が前提とされていたが、いまも、より美的にもしくはより創造的に画を見せるために色調調整や切り取りがおこなわれている。フラッシュを焚くことも〈手〉の作業のうちに入るだろう。だから、世界に対して〈目〉と〈手〉の二段階の介入をもってはじめて、写真は成り立つと言える。

どこか不安なところもある。しかし筆者は写真を〈表現〉に限定しようとする、ある種の伝統的な考え方に反対の立場をとる。いま、絵を描くようにものは撮られ、人間の思惑を投影される、つまり擬人化されている。ほんらい、それは言葉の領域である。そしてあらかじめ捕獲された言葉を了解的に展開するのが〈表現〉の正体なのだ。ならば、そこで〈記録〉が対置されるだろう。既成の意味とイメージがベッタリとくっついている状態ではなく、たえず静かに挑発されるような写真。言葉を挑発してくる記録としての写真は、むしろ現実のきわめて忠実な似姿であるがゆえにきっと記憶を揺さぶってくるはずだ。

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モノクロ南予

強南風や集落はほぼ同じ姓

川上博子『コーヒーをLに』

23年6月の数日間、むかし住んでいた場所を撮った。引用はそこからほど近い宇和島で出版された句集から。幼いころの南予での記憶はもはや遠い過去のもので、輪郭だけが思い出される。その記録のいくつかを、ものの形状や質感がはっきりと写るモノクロームで並べてみた。静かな夏のはじまりだった。まもなく関東は炎夏になる。

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