うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

2023-01-01から1年間の記事一覧

「光・顔・時間」紹介

仏哲学者・小林康夫の短いながらも鋭い写真論「光・顔・時間ーー写真は截断する」(『身体と空間』)を紹介する(注1)。 この7ページほどのテクストはある作家や作品を具体的に取り上げた批評というより、写真の存在論とでもいうべきものである。「あるいは写…

待ち合わせ5分前に、だいたい

「行きましょ」なんつって腕を組んで ーー小沢健二「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」 ただし恋に限った話ではない。たがいに腕を組まない関係だってある。でも、待ち合わせのドキドキ感はひとの行動パターンを変える。ふだん自分ひ…

警護と威嚇

地獄の番犬 相当ご機嫌ねワンワン/鳴き出したら止まらない ーー相対性理論「ケルベロス」 パトロールの警官が多い街に通うようになった。車を運転していても夕方など10分に一回はパトカーを見かける。これを読まれる方が警察権力にどんな考えを持っているの…

撮るときについて

カメラのファインダーの中に入り込んで四角く切り取ってしまった時間の最先端を、僕は何の気なしに当たり前だとしてしまうのだが、実はそれはとても興味深いことなのだ。 ーー山口一郎「カメラ枠」『ことばーー僕自身の訓練のためのノート』 写真を撮るとき…

モノクロ南予

強南風や集落はほぼ同じ姓 川上博子『コーヒーをLに』 23年6月の数日間、むかし住んでいた場所を撮った。引用はそこからほど近い宇和島で出版された句集から。幼いころの南予での記憶はもはや遠い過去のもので、輪郭だけが思い出される。その記録のいくつか…

語りの不思議ーー滝口悠生『死んでいない者』

話される言葉は、あともどりがきかない。ーーロラン・バルト『言語のざわめき』 その日、「寺でも専用の斎場でもなく地区の集会所」で85歳にして亡くなった人物の通夜がとり行われていた。「埼玉の西側、東京に近くない方」とだけ記された土地には河原や林な…

旅行の話

東京オリンピック開催前に日本から海外へ旅行をすることは、かんたんで楽しくてわりあい金銭的にも値段に見合った体験ができるものだったと、まだiPhone5sだか6だかで撮った粗い画質の写真を見返しながら思う。 2014年に大学の第二外国語履修で第一希望のス…

総天然色の鈍くて粗い春

ひとまずうっとうしいあの黒くて重い箱を持ち歩くのに疲れたときに代わって持ち出されるのはだいたい使い捨てカメラだろうけれど、だからその時点でものごとを「精細に」撮るということはなかば諦めなければならなくて、ここに連なるのはもっぱら感覚的に鈍…

日付と場所からの発想ーー報道写真小論

さる2022年7月9日朝の日本の活字空間には、「安倍元首相撃たれ死亡」という大きなカット見出しがどこもかしこも一言一句たがわずに支配していた。これはけっして誇張ではなく、いわゆる五大紙と呼ばれる大手全国紙がその日、かかる10文字を正確無比に揃えて…

山崎団地で会いましょう

地図を見てみよう。形でいえばちょうど町田市の重心が真ん中にくるような位置に、3920戸を有する山崎団地はあった。足を踏み入れれば気圧される敷地の広さに多摩郊外の団地のなにか核心があるように思われる。たとえば「2-7」などと割り振られた住棟の番号は…

ライツ! カメラ! ストップ!

私は写真が三つの実践(三つの感動、三つの志向)の対象となりうることに注目した。すなわち、撮ること、撮られること、眺めることである。(ロラン・バルト『明るい部屋』) ここに読まれようとしているのはバルトの言葉のとおり、写真をめぐる、とくに驚くに値…