うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

2022-01-01から1年間の記事一覧

これは人間の血の設定で、赤い絵の具を使っていますーー『桐島』再見

一つの色が他の色との接触によって変化するように、映像は他の映像との接触によって変化しなければならない。ーーロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書』 いつだって映画は唐突にはじまる。吉田大八『桐島、部活やめるってよ』(2012年)のはじめのカット…

むしろ港へ

滝口悠生の短編「すぐに港へ」にあやかってタイトルを「むしろ港へ」としてみたのはさいきんの登山・キャンプブームへのとくに深い理由のない反発というのもあるが、それよりも海と船が見える景色が好きだからというのがほんとうのところだ。山頂からの景色…

方法と文脈ーーアレック・ソス展のごく短い感想

アレック・ソスの写真展「Gathered Leaves」(神奈川県立近代美術館 葉山、2022年6月22日-10月10日)を見た。ソスは1969年アメリカミネソタ州ミネアポリス生まれの写真家。日本での個展は同館が初となる。同展はソスがアメリカを題材とする5つのシリーズ〈Sle…

写真史のための自己言及的資料

以下に、筆者が撮影した写真を写真史に紐づけてその性格を論じるということを試みる。ほんとうは写真史において重要な作品を取り上げて紹介してもよかったのだが、そのような内容のテキストはすでに数多く書かれてしまっているし、権利関係もいまいちクリア…

身辺スナップ(春夏秋冬/朝昼夜)

過去いくつか撮ってきた身辺スナップをお届けする。 写真家/写真批評家の中平卓馬は『なぜ、植物図鑑か』で「あらゆる陰影、またそこにしのび込む情緒を斥ぞけてなりたつのが図鑑である。"悲しそうな"猫の図鑑というものは存在しない」。「あらゆるものの羅…

三浦半島小旅行

2022年8月のなかば、三浦半島(葉山、三浦、横須賀)をひとりで車でめぐった。以下は神奈川県立近代美術館 葉山で開催していたアレック・ソス展と、三浦半島の海や山の記録である。お盆休みのおわりだからなのか、人は意外と少なかった。夏の海辺のゆるい雰囲…

晴れた日

わりあい長い付き合いになるのに夏に会ったことのなかった先輩に、過日、夏の晴天の日に続けて二度もお会いした。むろんこれは嬉しいことである。いままでその先輩の服装のイメージはといえばYシャツ、それもきまって白い長袖のものに、暗いトーンのパンツ、…

ナイトクルージング(横浜・川崎)

6月某日、夕方から夜にかけて東京湾(横浜・川崎)をぐるっと一周してきた。以下はその記録である。

雑誌雑食雑感

雑誌はいまも買うけれど、以前は月に1万円ほども使っていた。なにがそんなに気を惹いていたのかはわからないが、とにかくあれこれ漁っていた。インターネットとは別の、流行を知れる窓口として、そこにアクセスすることで新しいものを探していた。思えばたん…

小さい頃住んでいた街

生まれてから小学3年生まで、愛媛県南宇和郡にある愛南町(当時、4町1村が合併してできた)の長月というとても小さな街に住んでいた。その頃の思い出は今年27歳になろうとしている筆者にとっては遠いものになりつつあるが、折りにふれて脳裏によみがえる。 通…

ひとと桜、歩いて考える

花の美しさは、それを誰かに見られなければ気づかれることはない。花は見られて初めて美しくなる。とりわけ桜は一年をつうじてその変化をよく観察されるから、そのもっとも豪華な姿を抜群のタイミングにおいて人前で披露することができる。しかしそれを見ら…

関係と色ーー『Dolls』(北野武、2002)雑感

テマティックな分析をするに際して、取り出した細部に過剰な意味を見出してしまうと、むしろその作品のもっとも生き生きとした部分を取り逃がしてしまう可能性がある。コジツケほど興ざめなものはないが、しかしことこの映画にあってはやはり「赤」の特権性…