うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

むしろ港へ

滝口悠生の短編「すぐに港へ」にあやかってタイトルを「むしろ港へ」としてみたのはさいきんの登山・キャンプブームへのとくに深い理由のない反発というのもあるが、それよりも海と船が見える景色が好きだからというのがほんとうのところだ。山頂からの景色は我慢を重ねて険しい道を登った先にしか見えないものであるけれど、港は車でも電車でも気楽に行ける。楽しみ方も「発散系」というか、気分が晴れて空気が広がっていくような、それでいて続いていく海の先に思いを馳せてむこうの土地への憧れを溜めこむこともできるものだ。

山頂からはすぐ戻れないが、港はすぐ戻れる。この気楽さに惹かれているのかもしれない。音もある。ザーッという波の音や汽笛を聞いていると心がほぐれる。

家からいちばん近い港は横浜港である。


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横浜市歌(1909年)の作詞は森鴎外で、「されば港の数多かれど/この横浜にまさるあらめや」とすさまじい持ち上げっぷりである。当時は近代の幕開けで文明の発展を支えた土地(港)にプライドを持つことが、より高次の発展・進歩につながっていったのだと思う。もちろん鴎外が念頭に置いていたのは「西欧列強」で、競う相手は国外にあったわけだけど、それがいまでいう「シビック・プライド」(地元愛)を醸成して、100年も残っているのを思うと「アンセム」というのは力があるなと驚く。じじつ、いまでも筆者は歌えるし、「ハマっ子」は歌える割合が高いのではなかろうか。

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ただ今の横浜は貿易港としての役割はそこまででもないらしく、おそらくは、もっぱら過去の遺産をつないできた観光地の面が大きいのだろう。そして山下公園から見えるのは遥かな東京であって、太平洋ではない。だから昼も夜も海に映るのは白いビルのシルエットだ。ぼんやりと立ち上るそのかたちは、小さな陶器のように美しい。

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翻ってこの夏訪れたのは大磯港だ。こちらはとても閑散としていて、ちらほら釣客が散らばっているぐらいだった。太平洋も見渡せる。水平線が綺麗に真一文字に伸び、広々と感じる。

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一緒に来た友人はハロー!プロジェクトの限定ユニットL!ppの『Sunset Summer Fever』のMVを見て「夏」を感じたかったらしい。同感だ。ここには駐車場があるから車で来ても気楽に停められて良い。神奈川の海岸線をラジオや音楽をかけながら走るのも心地いい。

街の中に港があるのはどんな気分なんだろうか。交通手段として常用するというわけではないにしても、すぐ近くに、どこか遠くに通じているところがあるというのは。

安岡章太郎『海辺の光景』の冒頭はそういえばこう始まっていた。

片側の窓に、高知湾の海がナマリ色に光っている。

初夏の話だが、筆者は冬に海に来ると「ナマリ色」に見える。思えば港は、そこで泳げるわけではないので、ただ佇むほかない。

それにしても同じ「港」でも空港はまったく行かなくなった。コロナ禍になる前に韓国に行ったのが最後だが、つぎにほんとうに気兼ねなく海を渡れるのはいつになるか。