うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

テニスーー小さな賭けと確実さについて

高い天空には小さな球体が宙に浮き、そこは黄金の鞭で快音響く一撃を加えようという特別な目的で彼女が作り上げた、力と美にあふれる小宇宙なのだ。

ーーナボコフ『ロリータ』

スコットランド出身の元世界トップテニスプレーヤー・アンディ・マレー(シングルス46勝)はあるときインタビューで「みんな完璧なテニスを心掛けているけど、それは絶対に起こりえないことだし、それを受け入れないといけない」と語っている。もしくは逆に、同じく元世界トップのロジャー・フェデラーは22年9月の引退後、知人の息子にフォアハンドを教えるときに打った見本のストロークについて「私の打球はどれも完璧でした。私はただ「うわあ、今でもできるなんて」と思いました」と感嘆していた(『GQ』24年3月ウェブ版)。

ここにひとつ完璧さをめぐる逆説がある。ゲームで完璧に打とうとして放ったストロークはネットかアウトの可能性を含んでいてつねにミスと隣合わせで、おおむね期待にそぐわない軌道を描くが、試合から遠ざかった元チャンピオンが見本のために打った球は、引退後にもかかわらず完璧なものになってしまった。ひとつのショットがポイントになるかどうかは事後的にしか分からない。だとしたら完璧さとは、まるで賭けではないか。

このような感慨はスポーツをするひと、見るひとなら誰しも抱くと思う。じっさい、結果が分かっている試合などないからだ。確実な試合、100%入るストロークというものがありえないという前提によってテニスという競技は成り立っている。だからみな完璧なテニスを求めるが、マレーはそもそもそれが叶わないことを認めようと言う。

彼らの言葉には重みがある。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズはインタビュー『アベセデール』の「T」の項目「テニス」で「チャンピオンとはスタイルの偉大な創造者」であると言っている。ぼくたちはフォームを最初に習うとき、じつはそれはその時代の「流行っている」フォームを習うのだ。そしてそのフォームとは、チャンピオンたちが発明してきたものである。「どんな単純なフォームであれ、それはチャンピオンが発明したものだ」。

スタイルは変化する。ラケットもストリングも変化し、進化する。けれど、コートはほぼ変わらないし、ボールも公式球はずっと同じだ。だから確実なことは、打った球が重力と風の影響を受けるということ。打球点によって入る角度は物理的に決まっていること。物理法則と時間軸は曲げられないので、それだけはあらゆる人が同じ条件にさらされている。テニスに確実さがひとつあるとすれば、この物理法則だろう。つまりボールが入るかどうかは事前にはわからないが、入らない軌道は存在するということ。

流行のフォームはそれに加えて相手のミスを誘うようにスピンをかけるように変化してきた。ドゥルーズはそれを「労働者階級のフォーム」と呼んでもいるのだが、これは道具の進化とも相即している。ラケットはより軽く、より飛ぶように、ストリングはよりスピンがかかるように変化してきた。プレーヤーの負担が軽く、かつ相手が打ちづらい(高い打点でとらなければならない)ボールを放てるように改良されてきたのだ。

スポーツのフォームについて、美学者の中井正一は「よきスポーツマンの実存は、摑得したフォームの気分を常に反覆的に繰返して味わうことによってそれを熟せしめながら、しかもそれを脱落してより先に躍進せんとするところの、いよいよ不断の瞬間の持続である」(「スポーツ気分の構造」『中井正一評論集』岩波文庫、初出1933年)と述べている。すこしややこしい言い方だが、これは練習で自分のフォームを見出そうとする選手の心情のスケッチではないか。先に述べたフォームが「チャンピオンによる発明」だとしたらぼくら一般プレーヤーの多くは「追随者」(ドゥルーズ)であるほかないのだが、しかしスポーツとは創造的なものでもある。身体のつくりが一人ひとり違うように、ときに選手は独特のフォームを編み出してしまうものだ。

ところでテニス雑誌というものがある。選手のフォームが連続写真で掲載してあるのだが、YouTubeが発達したいま、スローモーションよりも「遅い」、というか止まってる写真だからこそ身体の動きを参考にしやすいのではないか。現実の選手の動きは肉眼で捉えるには速すぎるし、大きくプリントされてあると指先の向きまで分かるので意外な発見もある。

それからツアー選手の試合観戦をするときに驚くのは打球音だろう。視覚的にはなんてことないフォームでも、当たりの厚さを音で感じることができる。音は自分のプレーと上級者のプレーの隔たりを感じることのできるひとつの要素だろう。

週末にテニスをする。趣味としてしか響かないこの営みに生産的な側面を見出すこと。コートの上での振る舞いが創造の歴史に連なっていることに思いをはせれば、なんだか楽しくなってくる。

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