うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

語りの不思議ーー滝口悠生『死んでいない者』

話される言葉は、あともどりがきかない。ーーロラン・バルト『言語のざわめき』

その日、「寺でも専用の斎場でもなく地区の集会所」で85歳にして亡くなった人物の通夜がとり行われていた。「埼玉の西側、東京に近くない方」とだけ記された土地には河原や林などの風景が広がり、ラブホテルやゴルフ練習場、ビジネス旅館、温泉ランドも建ち並ぶ。いまや周囲から「故人」と呼ばれるその人の葬礼には総勢30人ほどの親戚たちが訪れ、60歳になる長男の春寿(はるひさ)が喪主を務めた……けれど、参列する彼と兄弟姉妹4人とその配偶者、孫10人ほど、さらにひ孫3人はもはや傍目には「誰が誰の子供で、誰と誰が兄弟なのか」見分けがつかないというありさまだった。もちろん人物たちの名前は記される。だが、たとえば冒頭5行ほどの語り手の通夜にたいする所懐(「人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬ(…)」「次の葬式はあの人か」「お互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感」)の直後にはさまれる「よしなさいよ、縁起でもない」という応答は誰が発したものか。あるいはそれは話されたのか、思われたのか……「などと思ったところで」、小説では「誰かがその言葉尻を捕まえて」反論しだし、「話を複雑にする」。べつの場面を見てもそうだ。

英太はサッカー部だった。英太はくるぶし丈の靴下の踵だけを脱いで、靴下が指先に引っかかったようになっている。脱ぐんなら脱げよ。(34p)

「故人」の子・多恵の17歳の娘・知花と保雄の息子・英太はいとこどうしで同い年だ。三人称多元視界のもとで進んでいく本作にあって、引用部三文目のような自由間接話法の一種と呼びうる発語は全体の流れに綾をつける。まるで全員がそれぞれ離れた場所でマイクを持ち、電源が唐突にオンになって声が拾われるかのような即興感。しかしマイクリレーは、いま・ここで行われるだけではない。

尻の下の柔らかい砂の感触を、今パイプ椅子に接した尻が思い出す。

ーー思い出す。

はっちゃんは思わず聞こえた自分の声に自分で驚いた。(126p)

ホールの椅子に腰かけたままでいた故人の幼馴染み・はっちゃんは、ふたりで旅した「気比の松原」の思い出を長く深く振り返っていた。そしてうたた寝から醒めるみたいにして漏れ出た「声」に、「砂浜じゃなくて、小石の浜じゃなかったか?」とどこからともなく返事が重なる。

ところで、冒頭引用したバルトは「いったん口にしたことは、取り戻すことができず、ただ増えるばかりである。(…)私にできるのは、ただ《抹消する、削除する、訂正する》と口に出して言うことだけである。つまり、もう一度話すことだけである」(同書76p)と説明している。書き言葉と話し言葉の性質のちがいは、前者は「まちがった」ときその部分だけ消せばよいが、後者は一度発してしまったものはそのままで、たとえば撤回するなら「撤回する」と追加して口に出さなければならないところにある。要するに話し言葉は訂正すればするほど「長く」なるのだ。だからそもそもふたり旅の理由も経緯も思い出せないはっちゃんは、「思い出せない」とわざわざ語るのだし、そこに、故人までもがはっちゃんの回想に「訂正」を提案してくる。ここがこの小説のもっとも特徴的な点なのだが、死者による語りでさえ、地の文でつづられるひと続きの文章は順々に読まれてするすると追える。それが「砂浜」だろうが「小石の浜」だろうが決まらなくても、この小説において語りは累加的なのである。ただ、注意しておきたいのはあくまでこれらは書かれたものであって、話し言葉を「擬装」しているということだ。もっといえば現実の会話ともちがうし、訂正するところのない文書でもない、脱線や記憶ちがいをも含んだテキストである。カギ括弧による会話が使われない本作では人物Aにかかわるくだりのすぐあとで、Aではなく、実際にAが口に出したものであるかのように読み取ってB、そこからC、Dが反応する。この柔軟でなめらかな焦点移動にはライブ感があるけれど、いわばこれは話者と読者の共同作業でもある。書かれたものはすでに読まれているからだ。

ラブホテルの上の階やゴルフの練習場、温泉ランドの浴場(男女の仕切りの上は空いているだろう)など、空間は広くひとつづきになっているように描かれる。そのような空間の中で、通夜がとり行われているのは「集会所」だった。フィクション作品では、登場した細部は意味を持ちうるし、出会った人たちは関係しあう。逆に通りすがりの人が一瞬描かれる場合(「あらやだ、あはははは」と笑うおばさん)も魅力的ではあるのだが、とりわけくりかえし出てくるのは「集会所」だった。この細部はなにげなく設定されているけれど、葬礼が、そしてなにより小説が、人を「集」まらせ一堂に「会」わせる場「所」であるという格好の条件になっていはしないか。だとすれば、「吉美伯母さんの夫である勝行伯父さんと、知花の父親である憲司は、まったく血がつながっていないのに(…)兄弟としか思えないほど顔も雰囲気も似てい」るという状況だって、近くに集まっているのだから似ているように見える、あるいは逆に、似ているのは近くにいるからだと説明しきってしまってもいいかもしれない。それほどこの人物たちと舞台は、小説という場所によく馴染んでいる。

ひとつだけ文学史的な連想をしてみるならば、憲司の息子で知花の10歳上の兄・美之(よしゆき)は故人の晩年8年間寄り添って中学時代からいわば「活動的に」「引きこもっている」のだが、この「独創人」(ドゥルーズ)ぶりはバートルビー(メルヴィル『書記バートルビー』)を思わせる。通夜には来ていない。理由も不明のまま不登校になった美之はしかし放課後になって訪ねてくる友人たちを自室に招き「楽しそうに遊んでいる」。しだいにその友人たちもが学校に通わなくなり昼からみんなで美之の部屋に集まるようになった。翌年に高校受験を控えた彼らは学校には通わないまま「自主的に勉強会を開くなどしているようだった」。一人ひとりが孤独で力強く、「説明可能ないかなる形態」からもこぼれ落ちてしまう(ドゥルーズバートルビー、または決まり文句」『批評と臨床』)。どうしても、美之の挙動に目がいってしまう。学校に行くこと以外は拒まない彼は、中心が複数あるような多視点的なこの小説のなかの衛星なのである。

いま、集会所で「昔話とともに吐き出された煙」が消えてはまた満たされていくように、彼らの名前をそのうち忘れては思い出すだろうと読み終える。

 

滝口悠生『死んでいない者』(初出「文學界」2015年12月号、単行本2016年文藝春秋刊、引用は文庫2019年文藝春秋刊から)

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