うどん二郎のブログ

95年生/横浜/写真

横浜海上いらっしゃいませ

横濱や無人のぶらんこを愛す 永島靖子『眞畫』 23年の終わりから24年春まで。横浜で気ままに遊んで、その地で撮った写真を並べる。大黒PA、金沢八景、磯子・海の見える公園、本牧、シネマ・ジャック&ベティ(黄金町)、江田、家の近所……。澄んだ空気にはしゃい…

テニスーー小さな賭けと確実さについて

高い天空には小さな球体が宙に浮き、そこは黄金の鞭で快音響く一撃を加えようという特別な目的で彼女が作り上げた、力と美にあふれる小宇宙なのだ。 ーーナボコフ『ロリータ』 スコットランド出身の元世界トップテニスプレーヤー・アンディ・マレー(シングル…

ゆっくりした時間

ひとつの時間の中にあって幾億も重なる昼と夜 ーー小沢健二「ブルーの構図のブルース」 朝、行きのくだりの坂道から思う些事を帰りの電車で思い出して書き留めるまで、半日以上の時間が流れているはずなのだが、あたかもその半日以上の時間は身体から切り離…

「光・顔・時間」紹介

仏哲学者・小林康夫の短いながらも鋭い写真論「光・顔・時間ーー写真は截断する」(『身体と空間』)を紹介する(注1)。 この7ページほどのテクストはある作家や作品を具体的に取り上げた批評というより、写真の存在論とでもいうべきものである。「あるいは写…

待ち合わせ5分前に、だいたい

「行きましょ」なんつって腕を組んで ーー小沢健二「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」 ただし恋に限った話ではない。たがいに腕を組まない関係だってある。でも、待ち合わせのドキドキ感はひとの行動パターンを変える。ふだん自分ひ…

警護と威嚇

地獄の番犬 相当ご機嫌ねワンワン/鳴き出したら止まらない ーー相対性理論「ケルベロス」 パトロールの警官が多い街に通うようになった。車を運転していても夕方など10分に一回はパトカーを見かける。これを読まれる方が警察権力にどんな考えを持っているの…

撮るときについて

カメラのファインダーの中に入り込んで四角く切り取ってしまった時間の最先端を、僕は何の気なしに当たり前だとしてしまうのだが、実はそれはとても興味深いことなのだ。 ーー山口一郎「カメラ枠」『ことばーー僕自身の訓練のためのノート』 写真を撮るとき…

モノクロ南予

強南風や集落はほぼ同じ姓 川上博子『コーヒーをLに』 23年6月の数日間、むかし住んでいた場所を撮った。引用はそこからほど近い宇和島で出版された句集から。幼いころの南予での記憶はもはや遠い過去のもので、輪郭だけが思い出される。その記録のいくつか…

語りの不思議ーー滝口悠生『死んでいない者』

話される言葉は、あともどりがきかない。ーーロラン・バルト『言語のざわめき』 その日、「寺でも専用の斎場でもなく地区の集会所」で85歳にして亡くなった人物の通夜がとり行われていた。「埼玉の西側、東京に近くない方」とだけ記された土地には河原や林な…

旅行の話

東京オリンピック開催前に日本から海外へ旅行をすることは、かんたんで楽しくてわりあい金銭的にも値段に見合った体験ができるものだったと、まだiPhone5sだか6だかで撮った粗い画質の写真を見返しながら思う。 2014年に大学の第二外国語履修で第一希望のス…

総天然色の鈍くて粗い春

ひとまずうっとうしいあの黒くて重い箱を持ち歩くのに疲れたときに代わって持ち出されるのはだいたい使い捨てカメラだろうけれど、だからその時点でものごとを「精細に」撮るということはなかば諦めなければならなくて、ここに連なるのはもっぱら感覚的に鈍…

日付と場所からの発想ーー報道写真小論

さる2022年7月9日朝の日本の活字空間には、「安倍元首相撃たれ死亡」という大きなカット見出しがどこもかしこも一言一句たがわずに支配していた。これはけっして誇張ではなく、いわゆる五大紙と呼ばれる大手全国紙がその日、かかる10文字を正確無比に揃えて…

山崎団地で会いましょう

地図を見てみよう。形でいえばちょうど町田市の重心が真ん中にくるような位置に、3920戸を有する山崎団地はあった。足を踏み入れれば気圧される敷地の広さに多摩郊外の団地のなにか核心があるように思われる。たとえば「2-7」などと割り振られた住棟の番号は…

ライツ! カメラ! ストップ!

私は写真が三つの実践(三つの感動、三つの志向)の対象となりうることに注目した。すなわち、撮ること、撮られること、眺めることである。(ロラン・バルト『明るい部屋』) ここに読まれようとしているのはバルトの言葉のとおり、写真をめぐる、とくに驚くに値…

これは人間の血の設定で、赤い絵の具を使っていますーー『桐島』再見

一つの色が他の色との接触によって変化するように、映像は他の映像との接触によって変化しなければならない。ーーロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書』 いつだって映画は唐突にはじまる。吉田大八『桐島、部活やめるってよ』(2012年)のはじめのカット…

むしろ港へ

滝口悠生の短編「すぐに港へ」にあやかってタイトルを「むしろ港へ」としてみたのはさいきんの登山・キャンプブームへのとくに深い理由のない反発というのもあるが、それよりも海と船が見える景色が好きだからというのがほんとうのところだ。山頂からの景色…

方法と文脈ーーアレック・ソス展のごく短い感想

アレック・ソスの写真展「Gathered Leaves」(神奈川県立近代美術館 葉山、2022年6月22日-10月10日)を見た。ソスは1969年アメリカミネソタ州ミネアポリス生まれの写真家。日本での個展は同館が初となる。同展はソスがアメリカを題材とする5つのシリーズ〈Sle…

写真史のための自己言及的資料

以下に、筆者が撮影した写真を写真史に紐づけてその性格を論じるということを試みる。ほんとうは写真史において重要な作品を取り上げて紹介してもよかったのだが、そのような内容のテキストはすでに数多く書かれてしまっているし、権利関係もいまいちクリア…

身辺スナップ(春夏秋冬/朝昼夜)

過去いくつか撮ってきた身辺スナップをお届けする。 写真家/写真批評家の中平卓馬は『なぜ、植物図鑑か』で「あらゆる陰影、またそこにしのび込む情緒を斥ぞけてなりたつのが図鑑である。"悲しそうな"猫の図鑑というものは存在しない」。「あらゆるものの羅…

三浦半島小旅行

2022年8月のなかば、三浦半島(葉山、三浦、横須賀)をひとりで車でめぐった。以下は神奈川県立近代美術館 葉山で開催していたアレック・ソス展と、三浦半島の海や山の記録である。お盆休みのおわりだからなのか、人は意外と少なかった。夏の海辺のゆるい雰囲…

晴れた日

わりあい長い付き合いになるのに夏に会ったことのなかった先輩に、過日、夏の晴天の日に続けて二度もお会いした。むろんこれは嬉しいことである。いままでその先輩の服装のイメージはといえばYシャツ、それもきまって白い長袖のものに、暗いトーンのパンツ、…

ナイトクルージング(横浜・川崎)

6月某日、夕方から夜にかけて東京湾(横浜・川崎)をぐるっと一周してきた。以下はその記録である。

雑誌雑食雑感

雑誌はいまも買うけれど、以前は月に1万円ほども使っていた。なにがそんなに気を惹いていたのかはわからないが、とにかくあれこれ漁っていた。インターネットとは別の、流行を知れる窓口として、そこにアクセスすることで新しいものを探していた。思えばたん…

小さい頃住んでいた街

生まれてから小学3年生まで、愛媛県南宇和郡にある愛南町(当時、4町1村が合併してできた)の長月というとても小さな街に住んでいた。その頃の思い出は今年27歳になろうとしている筆者にとっては遠いものになりつつあるが、折りにふれて脳裏によみがえる。 通…

ひとと桜、歩いて考える

花の美しさは、それを誰かに見られなければ気づかれることはない。花は見られて初めて美しくなる。とりわけ桜は一年をつうじてその変化をよく観察されるから、そのもっとも豪華な姿を抜群のタイミングにおいて人前で披露することができる。しかしそれを見ら…

関係と色ーー『Dolls』(北野武、2002)雑感

テマティックな分析をするに際して、取り出した細部に過剰な意味を見出してしまうと、むしろその作品のもっとも生き生きとした部分を取り逃がしてしまう可能性がある。コジツケほど興ざめなものはないが、しかしことこの映画にあってはやはり「赤」の特権性…